2007年04月08日
●肉食の是非を考える
P160 「食」は、生命とは切っても切れない関係にある。
何十年も何も食べずに生きている超人もいるらしいが、一般的には、私たちは何かを食べなくては生きていけない。
「日本人はクジラを食べるとんでもない民族だ」と、欧米から非難されたことがあった。
欧米人は、私を含めたイルカに特別な感情を持っている人がイルカを食べる太地や伊豆の人たちに非難の目を向けるのと同じ感覚で日本を非難したのだろうと思う。
そのとき、日本人の多くが、大きな声では言えなかったものの、「なぜクジラの肉が駄目で、牛肉ならいいんだ」と、欧米人の非難に反発を感じた。
しかし、それは何の議論もされないまま、クジラを食べるとはけしからんという理論だけがまかり通ってしまって、牛肉は堂々と食べられている。
牛肉はいいけどクジラの肉はなぜ駄目なのか、私も疑問を感じている。
牛肉を食べているのだからクジラの肉も食べてもいいではないかと言うつもりはまったくない。
逆に、クジラの肉が駄目なら、牛肉も同じように考えた方が
いいのではないだろうか、という疑問があるのだ。
命に軽い重いはないのかもしれない。
しかし命の役割として、植物は動物に食べられることによって種を運んでもらい、
子孫を存続させるという持ちつ持たれつの関係がある。
また、小魚は大きい魚に食べられることを前提として、
大量の卵を産み、適量が残るという自然の営みにコントロールされている。
人間も本来食べるべき食べ物と、そうでないものがあるはずである。
私たちの命は食べてもいいものと食べるべきではないものとを知っている。
食べるべきものではない命に対しては、畏れを抱くものである。
それが感情として表れてくるのが「かわいそう」であったり、「残酷だ」という思いなのである。
菜食主義という言葉があるが、私はこの言葉に以前から違和感を感じていた。
と言うのも、食は主義主張で決めるものではないからである。
自分の命に聞けば、何を食べればいいのか自ずと分かってくる。
主義などと大上段に構えなくても、菜食中心の食事になってくるのである。
ちなみに、肉を食べなければ体が衰弱していくとか、力がつかないというのは
まったくの迷信であることを付け加えて起きたい。
肉や卵を食べなくても人間は生きていける。
動物性タンパク質をとらない方が健康な生活が送れるのも間違いのないことである。
人間が、食の本来の在り方に気づいたときには、イルカを捕獲したり
殺したりすることの是非など議論する必要がなくなるだろう。
牛も豚も同じである。そういう時代がもう間近に来ているのだ。
Posted by dolph at 01:52│Comments(0)
│■本「イルカが教えてくれたこと」より
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マクロビオティックー食とこころの関係【潜在意識のカウンセリング-人生を幸運に導く法則】at 2007年04月08日 23:02
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