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2007年05月11日

●捕らわれたイルカたち

本「イルカが人を癒す」(P53)より
本「イルカが人を癒す」より1993年10月、ドイツのフライブルグで開催されたイルカ・クジラ会議でショッキングなビデオが紹介されたという。

その会議に出席していた、イルカの魅力を世界中にアピールする活動を続けているオランダ在住の日本人、静子・アウェハントさんが教えてくれた。

「最初からすごいビデオが流れたのよ。水族館に芸をするイルカがいるでしょ。ドイツの水族館で起ったことだけどね、ショーが始まるというので、何頭かのイルカがプールに出てきたのね。
そのうちの一頭がね、確かシンドバットという名前だったけど、何と、お腹を上にしたままになっちゃったの。イルカは背中にある噴気穴で息をするでよ。お腹を上にしていると、当然息ができなくなるわけ。そのままだと確実に死んでしまうの。

それで残りのイルカが何とか、そんなことは止めさせようとつついたりするんだけど、その一頭は、もう決死の覚悟というか、完全に自殺ね。息をしようとしないの。

場内は騒然としているわけ。調教師が助けに水の中へ入るんだけど、今度は仲間のイルカたちが人間が近づくのを邪魔するの。

捕らわれのイルカたちが命をかけて抗議したのよね。結局シンドバッドは人間が懸命に心臓マッサージをしたんだけど死んじゃった。

イルカを見せ物にすることは考えなくっちゃいけないわね。ホント、ショックだった」


海洋汚染の問題は、イルカやアザラシの意志とは関係なく死がもたらされたが、この話はまさにイルカが自分の意志で死を選択しているのである。

イルカを殺した壱岐の漁師が語った言葉を思い出してもらいたい。
「イルカの愛情は人間以上ではないかと思います。
網から一頭が逃げ出すでしょう。ところがその一頭は網の中の仲間を思ってですか、いつまでも網のまわりを離れない。」

仲間がモリで刺されたなら、モリのロープを食いちぎろうとするとも言っている。

仲間を思う気持ち、自殺すること、こういったことを見るだけでも、イルカを単に頭がいい動物として見るだけでは、彼らの本質には迫れないことは明らかである。

今、世界の流れは、捕らわれのイルカを解放しようという方向に進んでいる。
『わんぱくフリッパー』というテレビドラマを覚えている方も多いかと思うが、あのフリッパーを訓練した調教師も、今では解放する運動に積極的に協力している。

捕らわれたイルカは、かわいそうに野生の感覚を忘れてしまっている。
いきなり海に帰されても生きていけないのである。
だから、自然で生きるための訓練が必要になってくるわけだ。

映画『グランブルー』のモデルになったジャック・マイヨール氏も、イルカを野生に戻す活動を繰り広げている。

「彼らは、最初は海に出るのを怖がっていた。
私と一緒に海で泳ぐことで、なんとか海に出ることは慣れてきたのですが、深く潜ることにはまだ怯えている。それで、これから深く潜るための練習を一緒にして、最終的には60mの深さまで潜ろうと思ってるんです。彼らが怖がらないように、潜るときは私が先頭になっていき、60mの深さまで潜れたら、帰りは2頭のイルカの背びれに両方の手で捕まって浮上してくる。
彼らに野生本能を取り戻させてあげたいんです。」(週刊現代1993年10月2日号)


驚くべき話である。
海で生まれて海で育ったイルカが海を恐がり、潜ることに怯えを持っているというのだ。
そして、人間に先導してもらって潜っていかなければならないなどということは悲劇以外の何ものでもない。
イルカを捕らえ狭い世界に閉じこめてしまうことがいかに罪深いことなのか、マイヨール氏の話で十分に実感できるのではないだろうか。

自殺してしまうイルカ、
海が怖いイルカ。

これは私たち人間にとっても他人事ではないのである。P55  

2007年05月09日

●子供は捕らわれたイルカ

本「イルカが人を癒す」P55より
本「イルカが人を癒す」よりイルカを見ていると、心の底から喜びがわき上がってくる。
その気持をどう表現すればいいかというと、もっともぴったりくるのが、かわいい赤ちゃんがニコニコと笑っている場に居合わせたときの気持といったところだろうか。

キャッキャと声を立てて笑っていると、もっと嬉しくなってしまうが、その顔を見ているときの幸せな気持ちが、海の中でイルカがスーッと近づいてきた時の思いに近いかもしれない。

とにかく、あの無邪気さには参ってしまうのだ。

イルカは子供のような存在である。まだ人間社会のあかにまみれていない純真な子供が、まさにイルカなのである。

ところが、人間社会で今、イルカにもっとも近い存在である子供達がおかしくなっている。
肉体的にも精神的にも歪みが出始めているのである。
糖尿病や高血圧といった成人病にかかる子供。
だるさや眠さを訴える子供。
暴力的になる子供。
平気で人の物を盗んだりする子供。
いじめ、不登校など。

確実におかしいのである。

その原因というのは、明らかに教育の在り方にある。
学校しかり、家庭しかり、教育が狂ってしまっている。

長年、小中学校の教師を務め、今は教育問題に悩む人の力強い相談者でもある遠藤豊吉氏が、次のような話をしてくれたことがある。

「学校に暴力をふるってどうしようもない子供でも、なぜか高校には執着するんです。
高校へは行かなければならない、卒業しなければならないという思いがものすごく強いんです。これは、それまでの学校や家庭の教育の中が、高校を出なければろくな仕事がないよという固定観念を植え付けてしまったということでしょうね。

子供は自分が親のロボットだったと思ったときに本当につらい思いをするんです。
そして、そのつらさを、親をぶん殴ったり蹴っ飛ばす、家の中の物を壊す、親との付き合いを断って自分の部屋にこもる、家を飛び出して遊びまくるという形で表現するんですね。

その根っこには、高校へ行かないと将来は真っ暗だよという脅迫観念があるんです」


偏差値だ、受験だといったことが、子供に大きくのしかかっているのである。

そして、教師にも問題がある。子供を型にはめようとしすぎるのである。


自由に大海を泳ぐ能力と権利を持って生まれてきたイルカが、水族館の狭い水槽に閉じこめられ、人間たちを喜ばせるためにショーをやらされる。
それは子供達の身に起っていることそのままなのである。

夕方になると、塾の帰りの子供達がコンビニエンスストアに入り、弁当を買う。
それが彼らの夕食なのだ。
そして8時、9時まで勉強して家路につくのである。

彼らは疑問もなくやっているのかもしれない。しかしどこかおかしい。
教えられた芸をこなし、餌をもらう水族館のイルカたちに見るような悲哀を彼らの中に感じてしまうのである。

海を怖がるイルカ、潜ることに怯えるイルカ。
子供達はそんな道を歩んでいるのである。P58  

2007年05月07日

●イルカ療法とは 2

本「イルカが人を癒す」より
本「イルカが人を癒す」よりフロリダ州立国際大学のベッツィ・スミス博士は、イルカ療法の実践家として世界中に知られている。日本にも何度も来ており、雑誌のインタビューに答えたり、セミナーを開催したりして、日本でのイルカの関心の高まりに大きな貢献をしている方である。

彼女は、インタビューや講演で非常に興味深い話をしてくれる。イルカがよく分かっている人の言葉である。

「もし、イヌと治療を行う場合、たとえば、棒を投げてそれをイヌが拾ってくるという行動を通して、コミュニケーションをとるということが考えられますね。もし、子供がそれに飽きてしまったらどうなるのかしら?イヌはただ待っているだけで、次にどうしたらいいかわからないでしょう。でもイルカは違います。もし、子供が何の反応も示さないとしても、特に自閉症児はそうですが、子供が何をしたいのかわからなくても、イルカ自身が考えることができるのです。イルカはなにか別の選択をすることができます。子供がしたいことを思いつくのです。もし、あなたがイルカといっしょに子供の治療を常に行っているとしたら、イルカはあなたが考えていることが、すぐにわかるのです。イルカはとても強い社会的な繋がりをもつ生き物です。常にパートナーと一緒に行動し、お互いに信頼しあっているのです。あなたや子供が、イルカのパートナーになれば、イルカは自然にすばやく子供をリードすることができます」(DIVER 1993年4月号)

スミス博士によると、イルカは人間の血圧の状態や脈拍が分かるという。
そして、右半身が麻痺している人が海に入れば、彼らは必ず、不自由な右側を
支えるような位置に回ってくる。
また、たくさんの人が泳いでいる中に一人だけ自閉症の患者がいたとしたら、彼らは何も教えないのに必ずその患者の側に行くというのだ。

これをスミス博士は「イルカの持つ自然の性質」だと説明する。
病人が発している情報を、彼らはキャッチする能力を生まれつき持つというのだ。

第二章で、壱岐の漁師の証言を紹介したが、その話とスミス博士の話を合わせると、イルカがただ頭のいいだけの動物ではないことが、ここでもよく分かるだろう。情があるとでも言えばいいのだろうか。
とにかく、イルカは何か得体の知れない人を癒す素晴らしい能力、エネルギーを持っていることは間違いないのである。P86  

2007年05月02日

●イルカ療法とは 1

本「イルカが人を癒す」P83より
本「イルカが人を癒す」よりなぜイルカと泳ぐとうつ病が治ってしまうのだろうか。
誰もが興味のあることだと思うが、結論を急がず、もっとゆっくりとイルカの能力について見ていきたい。

イルカ療法は、アメリカで盛んに行われている、精神障害を持った人に対する治療法として知られ始めている。
自閉症やうつ病がその対象となっているが、最近ではガンや交通事故の後遺症など、肉体的な病気に関してもイルカと泳いで治そうという試みがなされている。

ホーラス・ドップス博士はイギリス人だが、イルカ療法の草分け的な存在で、イルカ療法家を志す人は、まずドップス博士の著書を読んだり、直接レクチャーを受けるのが入り口となっている。
博士の元々の専門は薬学で、麻酔薬の研究を長年やってきた。正統化学を研究する純粋な科学者だったのである。そんな科学者が、今では科学の枠を飛び出して、イルカの不思議なエネルギーに夢中になっている。

博士は、イルカの能力を次のように語っている。

「うつ病患者というのは、人間のスクラップみたいな状態です。
自分は何の価値もない人間だと思い込んでいます。自分をゴミみたいに思っている。
そういった人がイルカと泳ぐことによってどう変わるかというと、生きている喜びを感じるようになるんですね。自分も社会に貢献する役割があるんだと気づくんですね。
イルカと泳いだ人が、例外なく言うことがあります。自分はイルカに特別扱いされたと言うんです。自分の存在感というものをイルカが認めてくれた感覚を持つんです。
うつ病で何の価値もないと思いこんでいた人が、イルカに自分の価値を認めてもらうわけです。それですっかり自信をつけて、病気もよくなってしまうんです。
イルカがなんでそんな力を持っているかって言うと、それは分かりません。でも、イルカの〝氣〟が病気を治すんだと思います」

実は、博士と話をしていると、何度も何度も〝氣〟(Ki)という言葉が出てくる。

私はここ数年、〝氣〟の世界の取材に多くの時間を割いてきた。
自分でも〝氣〟によって人を癒すことを実践している。そういう立場にいる人間として、
〝氣〟を全面に出してイルカの能力を語っていきたいのはやまやまである。しかしそれはもう少し後にとっておこうと思う。
確かに〝氣〟は市民権を獲得しつつあるが、まだまだ受け付けられないという人もいるだろう。そういう人のために、この章では〝氣〟以前の言葉でイルカの癒しの能力を語っていきたい。  

2007年04月23日

5 幸福に生きるために

環境にも気を配りたい
環境グッズリンク
本「イルカが人を癒す」より
この本は、スピリチュアルな側面をもっていて、
チャネリングという手法によってイルカと交信し、
イルカの話すことを書き留めたものです。


その本の中から非常に重要だと感じた部分を
抜き出してご紹介いたします。


P201
イルカの生き方は、私たち人間が幸福に生きるための見本を示してくれている。
こんなに病気がはびこり、社会が不安定で、環境も悪化している現状を見れば、
人間の選択が間違っていたことははっきりしている。
ここらで、真剣にイルカに生き方を学び、本当の意味の幸福を得ることを考えた方がいいことは確実である。

「幸福になるために、こうすればいいという方法はない。
しかし、正しく生きていれば、自然に幸福になれる」


幸福になる方法を尋ねたときに、イルカはこんな答えを返してくれた。
どうも、人間は策略ばかりに走ろうとしすぎる。
方法や技術で幸福まで得てしまおうとするのである。
その癖にたいするイルカの忠告の言葉でもある。

ここで正しい生き方を、この章のまとめの意味も含めて見ていきたい。
もっとも大切なことは、無条件の愛をすべてのものに注ぐことである。
無条件の愛に基づいた行動をとることである。
とかく、私たちは計算したがる。
行動や気持ちに対する見返りを求める。
親が子供に、「ここまで育ててあげたんだから、老後の面倒を見るのは当たり前だ」と言ってみたり、
逆に子供が親に「老後の面倒を見てあげるんだから財産は全部よこせ」とか、
そんな世知辛い関係が当たり前のようにはびこっている。

親子でもこんな調子なのだから、他人だったら、言うまでもなく計算ずくの関係しか持てない。
ましてや人間以外の存在に対しては、利用するだけ利用するという感覚でしか接しない。

そんな感覚が何を生み出したか、もう今までさんざん言ってきたので、ここで改めて言う必要もないだろう。
イルカはどうか。
野生のイルカと泳いでみるとよく分かるが、彼らは何の計算もなく、私たちと遊んでくれる。
特に、どこか体調が悪いとか、悩んでいるとか、そういう人のもとへは入れ替わり立ち替わり遊びに来ては心を慰めてくれる。
それは、遊んでもらった人間が確実に元気になっていくのを見ればわかることである。

そういうことをしたからといって、彼らは何も求めることをしない。
気のすむまで遊ばせてくれて、このぐらいでいいかなと思う時間を見計らって、彼らは姿を消す。
そして、また合いたいなと思うときには姿を見せてくれるのである。

イルカの海では、イルカに不用意に触ったり、餌を与えることを禁じている。
イルカがそんなことを望んでいないことを、イルカを心から愛する療法家なら理解しているからである。

イルカは何も望まない。
ただ、何があっても人間を愛してくれている。
その気持ちは、言葉がなくても、チャネラーがいなくても、
ただ一緒に泳げば分かることである。
感じることなのだ。
暖かいイルカの愛に包まれていると、
人間も本来優れた存在なのだから、自分たちが忘れていたことを思い出すのである。
何をしなければいけないのか、だんだんと分かってくるのである。
幸福とは何かが見えてくるのである。

イルカはそんなことを教えるために、人間と泳いでいるわけではない。
しかし、彼らが放つ、愛に満ちた〝氣〟が、見かけは健康だが、本当は傷つき病んでいる私たちの心を癒してくれるのである。

彼らと泳いでいると、癒しの本当の意味が分かってくる。
それは、無条件であらゆるものを愛せる気持を持つことの大切さに気づくことである。
そのことに気づいたときから幸福が始まる。

幸福感とは、こんなに気持ちいいものなんだということを実感することができる。
これこそ、正しい生き方に気づいた幸福感である。
さらに、正しい生き方を実践したとき、その幸福感は何十倍にも増幅されるだろう。

「幸福になる方法は存在しません。
正しく生きていれば、自然に幸福になれます。」


幸福になることは、簡単なことなのである。
  

2007年04月22日

4 魂を磨くということ

環境にも気を配りたい
環境グッズリンク
本「イルカが人を癒す」より
この本は、スピリチュアルな側面をもっていて、
チャネリングという手法によってイルカと交信し、
イルカの話すことを書き留めたものです。


その本の中から非常に重要だと感じた部分を
抜き出してご紹介いたします。


P198
私たち人間にとって、どうすればいいかと言えば、イルカのような精神性で生きることである。
自然の法則を知り、その法則に従っていつも楽しく生きていればいいのである。

しかし、自分が楽しく思うことが自然の法則に合っているかどうか問題にしなければならない。

たとえば、ゴルフをやっているときが楽しくて仕方がない人がいるとする。
そういう人は、楽しいからと言ってゴルフばかりやっていればいいだろうか。
人間の楽しみのために自然を破壊してしまっている象徴的な存在がゴルフなのだ。歪みが出ないはずがない。

もっと極端なことを言えば、イルカを殺すことが楽しくて仕方がないという人がいたとして、
その人の楽しさは認められるのかということと、同じ議論になるのである。狩猟なんかもそうだろう。

いい悪いをどこで線引きするかは難しい問題だが、イルカが言うように、
「自分と自分の家族のためだけ」の楽しさや「共存関係を壊す」ような楽しみは、
本当の楽しみではないということである。

自分が楽しいと思ってやっていることが、自然の法則に合っているかどうかをチェックする必要がある。
それは、自分のやっていることが、自分と家族のためだけの楽しみではないだろうか、
自然との共存関係を壊すような楽しみではないだろうかということをチェックすればいいだろう。
自分の楽しみが他人や他の動物、植物の楽しみを生み出しているかどうかというチェックである。

イルカたちは、殺されたりつかまったりすることによって、人間に気づきの楽しみを与えてくれた。
殺されることは悲しいことだが、イルカ全体としては、人間に気づきを与えることは楽しみであったに違いない。

最近では、人間と一緒に泳ぐことを楽しんでいる。
そして、人間はイルカと泳ぐことによって、病気が治ったり、生き方の気づきを得たりするという恩恵を得ている。
イルカたちの生き方は、まさに楽しみの見本だ。

そういうイルカの楽しみが何につながっていくかというと、人間がもっと地球全体のことを考えるようになり、
その結果として地球が浄化されることになるのである。
すべてがうまく回転する楽しみをイルカは持っているのである。
それを参考にしながら、一刻も早く一人一人の人間が、本当の楽しみに出会うことが
必要とされているのだ。

そういった本当の意味での楽しみを実行することが魂を磨くことなのである。
  

2007年04月21日

3 救われる魂、救われない魂

本「イルカが人を癒す」より
この本は、スピリチュアルな側面をもっていて、
チャネリングという手法によってイルカと交信し、
イルカの話すことを書き留めたものです。


その本の中から非常に重要だと感じた部分を
抜き出してご紹介いたします。


P195 巷では霊能者と呼ばれる人たちが、
天変地異が起って、陸地が海に沈むと盛んに言っている。

イルカにも、「これから地球でどういうことが起るか」と聞いてみた。


イルカは自分たちのわかる範囲でと断って答えてくれた。
もちろん、具体的にどこが沈むかといった興味本位の話は出てこなかったが、
天変地異が起るであろうという予感を抱かせる答えが返ってきた。


「海が大きくなるでしょう。
海に近い場所だからといって、海になるわけではない」


と言うのである。

海が大きくなるということは、霊能者の方々が言っているように、陸地が沈むということである。
そして、海に近い場所だからといって海になるわけではないというのは、
突然、内陸部が海底になってしまうこともありうるということだろう。

実は、このやりとりの後、イルカが何でもお見通しではないとは知りつつ、
「東京はどうですか」「ニューヨークは」などという興味にかられた質問をしてしまったのだが、
イルカはこの質問にも、あまり乗り気ではなかったものの、「はい」とか「いいえ」とか
「分からない」とか答えてくれた。

そして、「そんなことは重要じゃないんだよ」と、最後に言った後、
イルカが諭すように私たちに話してくれたことがあったが、
その言葉を聞いたとき、私は「どこが沈むか」などというつまらない質問をしたことを
後悔せずにいられなかった。



イルカの言葉である。

「どこが沈むとか沈まないとかは大した問題じゃない。

自分の魂が磨かれているかくすんでいるかによって、

沈む人と残る人に分けられる。

魂のきれいな人は、どこに住んでいようと助かるし、

汚れた人はどこへ逃げても助からない」


本書でも、人間の持つ意識の大切さは何度か述べてきたが、
なかなかここまで言い切ることはできなかった。

イルカは私たちの

「日本のどこかが沈むなら、前もって沈まない場所を知って、
そこに引っ越しておいて、自分だけ助かろう」


という情けない根性を一刀両断にしてくれたのだ。


いろいろな取材の中で、何人もの霊能者に会って話を聞いたが、
彼らが言う中に、このイルカの話と似通ったものがあったので
紹介しておきたい。


それは、魂には重さがあるという話である。

魂というのは、肉体が滅びたらあの世と言われる場所へ帰っていく。
そのとき選別が行われるのだが、それこそミカンやリンゴを選別するように、
重さで機械的にわけられるのだそうだ。

魂というのは、汚れれば汚れるほど重くなる。
つまり、重い魂ほど低級な世界へ流れていくような装置さえあれば、
魂の重さによって自動的に選別できるのである。


あまり重くなりすぎて、あの世へ行けずにこの世でさまよう、
いわゆる浮遊霊になってしまう魂もたくさんあるという。

こういう浮遊霊は、憑依霊となって、生きた人間を病気にしたり、
事故にあわせたりするという。


私たちはいつも魂を磨くことを心掛けてさえいれば、陸地が沈んでも
うまく助かるように仕組まれるし、死んだ後も天国と言われる素晴らしい世界へ行けるのである。


それは、決して神様が救われる人間と救われない人間を選別するのではない。
人間が自分で選んでいるのである。



目先の欲にとらわれて行動するような人は
自ずと魂が汚れていき、重くなっていく。

そうなると、知らず知らずのうちに沈むような場所に身を置いてしまうことになり、
死んでしまった後も魂が重くていいところへ行けないということが起ってくるのである。

すべて、身から出た錆びというわけだ。
そういう意味では、神様は人間に平等と自由を与えてくれている。


出世だとか、お金儲けだとか、つまらないことばかりを考えずに、
自分の魂を磨くことを、まず第一に考えなさい
ということである。

そうすれば、自然に、何も努力しなくても、大きな力に身を任せていれば、
いい結果が訪れるのである。
クローバー環境にも気を配りたい
  

2007年04月20日

2 すべての命を大切に

クローバー環境にも気を配りたい
本「イルカが人を癒す」より
この本は、スピリチュアルな側面をもっていて、
チャネリングという手法によってイルカと交信し、
イルカの話すことを書き留めたものです。


その本の中から非常に重要だと感じた部分を
抜き出してご紹介いたします。


P193
「あなたたちは、イルカだクジラだと大騒ぎしているが、イルカやクジラを特別扱いするのは間違っています。
地球上には限りない生命が存在しています。それを、平等に大切にすることが必要なのです。」

このイルカからのメッセージを聞けば、牛肉を食べることが果たしていいことなのか、
考えざるを得ない。

豚肉にしても、鶏肉にしてもそうである。


命を大切にするということはどうういうことだろうか。
それは愛護するということとイコールではないようだ。

保護する、されるという関係ではなく、あくまでも
共存するということである。


では、共存とはどういうことなのだろうか。

龍村仁監督の「地球シンフォニー」という映画に、象が主役になる30分ほどの感動的な物語がある。
その中で、象が森林を食べ尽くしていくという場面があり、ナレーションで、
「これは一見、環境破壊に見えるが、実はそうではない」といった意味の説明が流れる。

どういうことかというと、象たちが食べた物は、半分以上が消化されずに糞に混じって
大地に還っていくのだが、その中には植物の種も含まれており、その種は翌年には芽を出し、
また森林を作っていくのである。

つまり、象に食べられることによって、森林は場所を移動し、その勢力範囲を広める事ができるのだ。
森林にしてみれば、象に食べられることによって子孫を繁栄させているのである。

もちろん、象は森林から食物を得ているのだから文句があるはずもない。


こういう形を共存という。


共存を前提とすれば、人間がどういうものを食べればいいのか、自ずと分かってくるはずである。

牛肉を食べ過ぎると大腸ガンになる確率が高いという報告もある。
牛肉に限らず、動物性のタンパク質が健康によくないことは、民間の食事療法では
当たり前のように言われることである。

腸内で肉が腐って毒素が吸収され、血液に乗って全身に回るというのだ。
動物性のタンパク質を絶っただけで難病が治ったという人もたくさんいる。

肉になる動物は殺されるという悲しい思いをしなければならないし、
それを食べた人間は病気になる。
これでは共存というより、共倒れである。
  

2007年04月19日

1 念ずることとプラス発想

本「イルカが人を癒す」より
この本は、スピリチュアルな側面をもっていて、
チャネリングという手法によってイルカと交信し、
イルカの話すことを書き留めたものです。


その本の中から非常に重要だと感じた部分を
抜き出してご紹介いたします。

P191
大きな力が働いていることを信じられる人は、これまでいろいろな啓蒙書やビジネス書で言われてきたことの中に、疑問符をつけたくなるようなことがあることに気づくはずである。

「大きな力は、必要なときに必要な物を与えてくれる」

とイルカは言っている。

そのことを頭に入れて考えれば、「強く願望すれば実現する」という言葉に少々首を傾げたくならないだろうか。


確かに、強く願望したり念じたりすることは、大きなエネルギーを生むわけだから、
それなりの答えとして現象が現れるだろう。しかし、人間が願ったり、
念じたりして実現したものは、大きな力の前ではどれほどの意味があるのだろうか。

大きな力は、宇宙全体を見渡しながら、必要な力を適切なものに与えているのだ。
しかし、願望や念といったものは、それを発する人が自分のためだけを考えて行使しているにすぎない。

イルカが言った、こんな言葉を覚えているだろうか。

「一番大きな罪は、自分と自分の家族のことしか考えないことです」

願望や念といったものは、この罪に見事に当てはまってしまうのである。
環境にも気を配りたい
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宇宙レベルで見て、自分にお金が必要なら自然に与えられるし、
地位が必要なら同じように大きな力は与えてくれる。
それが自然の法則なのである。

願望や念で得たものは、残念だが決していい形では残っていかない。
願望によって得たものは必ずその反動で、思いもしないマイナスの出来事を呼び寄せるのだ。

もう一つが、「すべてのことはプラスに考えなさい」という教えである。

どんな辛いことも悲しいこともプラスに考えて生きていくことが大切だと、
多くの人が説いている。

それはそれでいいのだが、まだまだ認識が浅い部分がある。


はっきり言ってしまえば、
プラスに考えることなどないのである。
なぜなら、すべての出来事は自分にプラスになる出来事だからである。

イルカは言っている。

「すべての事には意味がある」


意味があるから、すべてのことは起っているのだ。
それは、どんな意味か。
つまり、その出来事の当事者の魂が成長するために大きな意味があるということなのである。

病気になった人が、
「この病気は自分にとって意味があるんだ」と、自分に言い聞かせているシーンは、
非常に感動的ではあるが、そんなことを言い聞かせる必要はない。
誰が何と言おうと、その病気はその人の成長のために絶対的に意味があるのだから。


私の知り合いの精神世界の研究者は、このことを
「全肯定」と呼んだ。

すべては肯定であるといういことだ。
肯定的に考える、プラスに考えるのではなく、すべては肯定、
プラスであることを知らなければならない。

大きな力は、それだけの支配力を持っているのである。

人間の小賢い考えや力ではどうしようもないものなのである。

その力に体も心も任せてしまったとき、
新しい展開は確実な成功をともなって生まれてくるのである。


イルカが人を癒す