●地球に好かれる生き方

dolph

2007年04月02日 22:22



よく「地球を救おう」と言われるが、実は私たちには、地球を救うなどという大それたことなどできようがないのである。

 私の知り合いが、こんな話をしてくれた。

「地球はもっともっとしたたかなものです。
人間に救ってもらわなければならないようなやわなものではありません。

 いよいよ危険な状態になれば、
人間を滅ぼしてしまうくらいのエネルギーを持っています。

だから、人間が考えなければいけないのは、
地球を救うということではなくて、
自分たちが地球に好かれる生き方をすることではないでしょうか」

私はもっともなことだと感心してしまった。
地球を救うなど、人間の傲慢にしか過ぎないのだということが、
彼の話によってよくわかったのである。

たぶん、地球を救おうという生き方も、
地球に好かれる生き方も、見える部分では同じだろうと思う。
しかし、地球を救おうなどと思っていると、
今の危機は乗り切れたとしても、
「我々が地球を救ったのだ」という思い上がりが、またいつか
同じような間違いを犯してしまうことになるだろう。

地球あっての私たちである。
地球に好かれ、地球が応援してくれる生き方をしていく。
そんな意識で生きることが、私たち人間が自分たちの役割を見誤らないためにも、
重要ではないかと、しみじみと思った。


そんなことを考えているとき、新聞で佐治晴夫氏(玉川大学教授)の言葉に出会った。

「地球に優しい技術とか、自然に優しい技術というのは、
あれは人間のおごりだと私は思いますね。
人間は滅びます。簡単に。
しかし地球はそんなに簡単には壊れません。
だから、地球に優しい、などという言い方をした学生には単位を出さないことにしています。」

イルカに関する議論でも、

「イルカを獲ることには反対だけれども、
イルカを保護すると、数が増えすぎて生態系が崩れてしまうんじゃないですか」
という質問を受けたことがある。

これも、人間の傲慢としか言えない。

人間にイルカを獲ったり保護する権利があると考えるから、そんな言葉が出てくるのだ。
生態にかなりの影響力を与えるだけの技術力を人間が持ってしまったのは事実である。そのことと、人間に持たされた権利であるということは意味が違ってくる。

ある種が増えればバランスをとるために、それを減らそうという力が働く。
それが自然界の法則である。
いくら保護という名目であっても、結果的にはその法則を乱してきたのが人間のやってきたことである。それを謙虚に反省して、なるべく自然の法則には口をはさまないようにすることが、人間が心掛けるべきことのような気がする。

自然は、人間の思いのままには決してできるものではない。
支配しようと思うと、必ずその歪みが出てきて、それが
私たちの身の回りに、喜ばしくないこととして降りかかってくるのである。

今世紀、これから将来、人間の価値観は、急速に変化していくだろう。
地球に好かれ、新しい時代に生き残るためには、もうそうせざるを得ないのである。

若者や子供たちを中心に、新しい時代に生きる、新しい人類への目覚めが
確実に起ってきている。

地球の目覚まし時計が、リーンリーンとけたたましくベルを鳴らしている。

それに気づかず、いつまでもグーグーと眠っている人は、
地球から振り落とされてしまっても文句は言えないだろう。

もう目覚めたとき、それも、もうこれ以上寝過ごせばアウトという時期まで来ている。

そのことをどれだけの人が自覚できるのか、
新しい世紀での私たち人類に与えられた課題であろう。

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